雑記
祖父が久しぶりに夢に出た。
何気なく新聞を読んでいる祖父でもなく、助手席にぼくを乗せて車を運転している祖父でもなく、棺の中で上等なジーンズにパパスのアロハシャツを着て眠っている祖父が。
17年前に他界した祖父の記憶は、それまでの日常も通夜も葬式も、未だに自分の心の中の大きな部分を占めていて、未だにぼくは事実を受け入れられていない。
17年前というと、まだぼくが5歳前後のことである。5歳から22歳までの17年は、たぶんだけれど、大人になってからの17年とは違うはずだ。きっと、長くて、濃い。
そんな17年間という時間をかけても、絶対に咀嚼できていないぼくがいる。どこかで生きているんじゃないかなとか、そうだったら気まずいから顔を出していないんじゃないかなとか、そんなことを考えたりする。
今日の夢の中で、棺の中を見ながら泣いていたぼくは17年前の葬式の記憶を持ったぼくだったので、たぶん22歳のぼくがじいじの葬式に出ていたら、あんな感じだったんだろうな、と思った。
とはいえ、17年前と何も変わってないけれど。寂しくなって、目が覚めてからすぐ、ぼろぼろ泣いてしまった。
学校の部室についてからも、えも言えぬ寂しさは纏わり付いていた。祖母に電話をしてそのことを話したら、笑いながら「応援してくれとうとよ、やけんとりあえず頑張ってくるとよ」と言われた。それ以外にも、だらだらと話をした。映画とか、就職がどうとか。
1時間くらい電話して、教室に向かった。目を真っ赤に腫らして期末試験を受けたのは初めてだった。
祖母と電話していた時、「じいじが早死にしたって言われるの、悔しいとよねえ。あの年齢でぴったりなくらい密度の濃い時間を過ごしてきたし、私たちは楽しませてもらったのにね」と言っていた。
いやはや本当にそうだと思う。じいじが早く亡くなったのは認めたくない事実だし、一緒にハワイに行くとか「今俺が乗っとう車は将来お前が乗るとぞ」とか、そういう約束がなくなっちゃったのは寂しいけど、確かに密度は濃かったし、これでもかというくらい可愛がってもらった。
そうじゃなければ、夢に出るたび、命日になるたび思い出して泣いたりしないし、仏壇に添えてもらおうと、あなたの万年筆で認めた手紙なんて定期的に祖母宅に送りません。
毎年、このくらいの時期になると、自分のすきな人たちが亡くなる。モーターヘッドのレミーとか、イーグルスのGlennとか、アヴィーチーとか。そして去年は父方の祖母。今年はコービー。
去年の3月。近親者の死は祖父の17年前が最後だったので多少は耐性がついたかな、と思っていたけれど、全くだった。
亡くなった人に対する一種の恐怖が、17年前と同じように蘇ったのだ。生きている人の眠った顔と、生きていない人の眠った顔は、全くの別物である。
特に、家族中にはかなり恵まれているので、その差が顕著に判ってしまう。
それから一年弱経った今年の正月は、初めて母方の家で過ごした。それまでは父方の祖母宅で過ごしていたのだ。
マミーのおせちはとても美味しかった。少し気難しい人ではあったけど、「美味しい美味しい」と言って食べるぼくに、せかせかといろんな料理を作ってくれたのが懐かしい。
でも今年はそれがなかった。だから、母方の祖母の家で正月を過ごしている自分には、何とも言えないふわふわとした虚無感みたいなものがあった。
そのあと、父方の祖母の家に行った。今まではチャイムを押すと、バタバタと足音を立てながら「いらっしゃい」と声を張る祖母がいたはずの場所。でも、今は誰も住んでいない。父方の祖父は両親の結婚前に亡くなっていた。会ったことのないひと。父が高校生のころに録音したカセットで、たまたま入り込んだ声だけ聞いたことがある、そんなひと。
家に上がると、中身はほとんどそのままだった。でも、マミーの家なのに、マミーの家じゃなかった。
リビングにも、台所にも、小さい頃よくラジカセで音楽を聴いていた部屋にも、どこにも、誰もいない。変な感じだ。
寝室に行くと、ベッドサイドに、少し大きめのスヌーピーの人形が置いてあった。
それがぼくの中の何か線みたいなものを切ってしまったみたいで、立ちっぱなしで大泣きしてしまった。
小さい頃から泣き虫だったけれど、未だに変わらない。すぐ泣くの、何故だろう。
最近は、今まで以上に母方の祖母と連絡をとるようにしている。少なくとも週で5、6時間以上話している気がする。映画の話が弾んで、気づけば1時間経っている、みたいなことがざらにある。祖母はぼくよりもずっと詳しいのだ。
何かを言いたくて文を書き始めたわけではないけれど、何が言いたいのかわからない文章になってしまった。
とりあえずいろいろ落ち着いたので、久しぶりに文章を書こうかな、と思った次第である。
すきなひとたち、ぼくよりも幸せに長生きしてほしいなあ、なんて思う。
今日は雨と雪の混じった、冬らしく痛いような寒さの日。感傷的な気分に包まれた、寂しくてひんやりとした1日でした。