雑記

日本語にはたくさんの原理原則めいたものがある。

そのうちでぼくが特に信じているのは、2つある。

 

ひとつは、語呂や区切りのいい言葉はじぶんの中にスッと吸収されて、長いこと体の中に残ること。

 

もうひとつは、口に出したり紙に書いたり、あるいは考えたりすると実際にそう思うようになること。

つまるところ、所謂「言霊」と言うやつである。

 

 

一つ目のおかげで、ぼくは対外的にアウトプットするとき、つまりここで文章を書いたりYouTubeで字幕を作るとき、語呂の良さと言うものをかなり意識するようになった。

 

「いつまで経っても駄目人間」とか「酒は万薬、はっきり分かる」とか「人生地獄絵図」とか。

口に出しやすい、日本語独特のキャッチーさみたいなものを意識しているわけです。

 

で、二つめの言霊的な力。これがたちが悪い。

ぼく個人の話にはなるが、自分のアイデンティティ的なものの一つが自虐的な自分語りなのだ。

 

つまり、語呂のいいキャッチーな自虐を繰り返しては言霊の力で脳にインプットされていく、そんな皮肉的な現象が、対外的な何かをするたびに起きているのである。

 

毎日直筆で日記をつけているのだが、その中でも上記のような自虐は繰り広げられている。もうやめたげて、と言うほどに。

 

だから、ぼくは自分をいつまで経っても駄目人間だと思っているし、酒に溺れたクソ野郎だとも思っている。実際それで間違いないとは思うけれども。

 

とは言えこれらはたぶん、ふたつの原理原則を下手に信じているから、実際現実に成り得ているのだなと思う。

 

ぼくの自己水準が低かったら?

楽観的に物事を捉えられたら?

そもそも酒に手を出していなかったら?

 

なんて考える時もあるけれど、そんな時に出てくるのは見苦しい言い訳ばかりで、「キャッチーな希死念慮」みたいなものが自己増殖するばかりで。

 

 

つまるところ何を言いたいかと言うと、口に出したり文字にしたりしたものは実際現実味を帯びてくるが、ぼくはその管理が下手なので自分で自分を殺してる、と言うこと。

 

嫌なことがあったらまず自分のせいにすること。

そして鬱屈とした気分を酒と煙草で回復させようとすること。

そりゃあ健全な自分に戻れん手段でしょうよ、考えたら分かるでしょう。

 

でもぼくはそうしてしまうのよな。ある種懺悔的な雑記になった。

でも言霊は言霊なので、この懺悔が効くことを願うのみである。

 

ぼく、もう少しばかりはまともになってくれよ。

もう大学も卒業して社会に出たんでしょう。

 

いつまでも生ぬるい、砂糖水みたいな環境でだらだらしてられると思ったら大間違いだぞ。

 

死はすぐそこに、、

 

何て言ってたら本当に希死念慮が踊り出す気がするのでやめておくことにする。

 

踊るポンポコリンの精神で毎日生きていきたいものである。

 

 

ぼくは最強、全治全能、あらゆるものの普遍的な統治者。

 

さて文字に落としましたので言霊さん働いてください。

 

そんなことをつらつらと書いていたら希死念慮が強くなってきた午前1時半。

 

毎日誰もいない家の玄関を開けて「ただいま」という生活です。これはいつまで続くのでしょうか。

下手したらずっと、なんてこともあるのだろうか。

 

こればかりは言霊のパイセンは仕事しなくていいからな。黙って見てて欲しい。

 

所謂これが、ぼくの専売特許。

自虐的な自分語り。キメえのでもうやめます。

 

いつになったら自分を自分で持ちあげられる日が来るのだろう。

 

頭でわかっていても行動に落とし込めないの、本当に小さい時からの正すべきところだなあ、なんて思いつつ。

 

了、、?

 

了、、。