雑記
煙草を吸いながら本を読む。
本を読みながらではなく、あくまでも煙草を吸いながら、である。
かぶれなのでな。
色々と思い返せば何につけても形から入って、それを気にしすぎてきた気がする。
読書もバスケも音楽も。煙草とバッシュとPRS。
自分のアイデンティティは何なのだろうかと昔からよく考えるのだが、結局のところ結論は出ていない。
最近になってようやくわかってきたのだが、その辺の曖昧さがぼくのアイデンティティなのかもしれない。
みんなが持っているものに魅力を感じたり、将又逆のものに魅力を感じたりする。
あの人と同じものをぼくは持っているんだ、だから仲間外れではないんだ、みたいな共同性に意義を見出したり、みんなとは違う自分に意義を見出したり、ざっくりいうとあべこべな信念のもとここまで来てしまった感が強い。
他人と一緒で在りたい自分と、そうで無く在りたい自分。例えば前者はみんながやってるゲームをすること、後者は周りの人が聴いていない音楽を聴くこと。
その辺の程度がどうしてもアンバランスになってしまうので齷齪したり自分に戸惑ったりする。
子曰くの中庸はいつになったら身につくのでしょうか。
そういえば大学を卒業したので社会人になった。つまり社会に出て働かなきゃいけない、だからなるべく規則正しい生活を送らなきゃいけない。
でも仲の良い人たちに合わせようとすると多分それは不可能だ。周りの友達は昼夜逆転が多いし、ぼくもそうだった。
みんな社会人やめて永遠に大学生の身分になったりしたらぼくはもう少しばかり生きやすいな、なんて思ったり。とんだ我儘ですね。
怒髪天の記念曲のサビで「大人は最高」と言う歌詞が流れる。そのパートはチバユウスケが歌っている。
自分が憧れる人が、自分の理想と真逆の事を嗄れた声で高らかに叫んでいる。やはりあべこべな嗜好である。
ここまで読み返すと、どうも変な拘りに縛られているからどんどんドツボにハマっているのだなと思う。
実際これは高校時代にも大学に入った時にも感じていた。さして対処する事なく世間一般の「大人」の身分になってしまった。だからぼくは今までの大学生だった自分とその生活を希求しているのだろう。
どうせ自分で金回りをどうにかしてきたのだから、留年していろいろ考え直す時間にすればよかったのかな、とか思う。
結局、たらればばかりの懐古と反省で、後者は本質的に成し得てないなあと思ってちょっと辛くなった。
いつかカラオケで「大人は最高」なんて叫べる日がくるのかな、来てほしいな。来ないのかな。
社会人になってから得た物は多少の金銭的余裕くらいで、それと相反して精神衛生が削られている。
まだまだ「大学生は最高」な自分のままで、そうして居たいのだろう。というか絶対そうだ。
さして早起きもせず、キャンパス近くのカフェで煙草吸いながら本を読んで。それを知った友達がそこに来てだらだら雑談して。家に帰ったら適当にご飯を作って酒飲んで。終電の無くなった深夜に友達が自転車でうちに来て。
言語化するとスーパーハッピーな時期だったなとしみじみ。あの素晴らしき日々をもう一度、でも叶わないんですなあ。
そんな事を思いながら眠れずにこの文章を書いています。薬を飲んでも眠れなかったのでソファに座ってタイピング。
眠れないのに頑張ってベットにいるのはよくないらしい。脳が「ここは眠れない場所」と認識して、余計眠られなくなるそうな。
本当かなあと思いながらとりあえず移動して今に至ります。
何だか眠れる気がしてきたような、してこないような。
とりあえずベッドに戻ってみようかな。おやすみなさい。