さむくなったね

最近、朝晩がよく冷えるようになった。こと今日に関しては日中も寒かった。去年の秋によく着ていたフーディをクローゼットから出して着てみたが、暑くも寒くもなく、丁度良かった。

 

去年の秋に、と書いてふと思ったが、よく考えたらもう秋なのだ。10月も中盤に入ろうとしている。

 

毎日毎日去年の今頃は、なんて考えていたらもうかんな季節になってしまった。時が経つのは年々早くなるばかりだと身に染みて思う。

 

寒くなると幾分感傷的になってしまう性分なのだが、今年もそんな季節がやってきた。

 

例年はじわじわ季節が変わっていたけれども、今年は気づいたらもう変わっていた。知らないうちに、考える暇も無しに。

 

 

高校生の頃は中学生の頃より時が経つのを早く感じたし、大学生の頃は高校生の頃よりも、である。まして大学を卒業したらば、だ。

時間の有限性なんてあまり考えたくないけれど、年々痛感してしまう。時間は有限だし、その時間軸の中にいるぼくも有限だ。

 

時間が経つという事は周りの人間も同じで、ぼくが歳を取ればみんな同じように歳を取る。じゃなければエディはまだ死ななかったかもしれないね。

 

時間が経てば歳を取る。身体年齢は不可逆だ。戻りたい過去があっても戻れんのだ。精神年齢だけはいつまで経っても大人になれないけれど。

 

心の幼い自分がきらいだ。たまにすきな時もあるけれど、そういう時は大抵言い訳でなんとかしているのだ。

 

 

そんなこんなでもう10月、今年はもう2ヶ月もない。

2021年という数字はまだ遠い未来のように思えるし、実際年を越してもそう感じると思う。

 

ある一点に留まり続ける自分の存在には、数年前から気付いていた。けれど、最近になってやっと、「気付いていた」が「はっきりと輪郭を捉えた→変わらなくてはならない」になった気がする。

 

ぼくはどうしようもないぼくだからしょうがない、みたいな思考を、少しずつだけれど変えられるようになってきた。

 

今までは、何かできるようになっても「でもぼくはだめだから」でへし折ってしまっていたけど、たまには肯定することも大事なのだなと思うようになった。

1ミリでも成長したなら2ミリになるように頑張ればいい、と思えるようになった。割とぼく史上革命的なことだ。自己否定ばかりしてきたから。

 

そう言いつつも、来年の今頃、今日くらいを思い出して「何にも変わってないなあ」なんて思ってそう。そうじゃなかったらいいな。

 

今日は肌寒くて、ちょっと風の強い雨の日でした。

いつかはわからないけど、昔もこんな日があったな、と思った。