雑記

先行きが見えない。

 

学生の頃から幾度となくそんなことを言ってきた。

得体の知れない不安、正直意味のあるかすらわからないぼんやりとした不安。

訳も分からないまま、永遠に続く螺旋階段をぐるぐると登り続けるような不安。

 

けれども、ここ最近の不安は、以前のそれよりも大分現実的なそれになってきた気がする。

と言うか、なっている。

 

徐々に蔓延していく感染症の猛威に、社会全体が同じようなものを抱えている。

同じようなものというよりは、ぼくのそれより幾分逼迫したものかもしれない。

ぼくにはまだ仕事はあるし、事実現場で働いているのだから。

 

 

 

昔からぼくは考える必要のないことを考え込むし、考え混んで不安に苛まれている状態に、どこか安堵じみたものを覚えているのだ。気持ち悪い。

 

とは言え物質的に充足した毎日を送ることができたとしても、精神的に充足しているとは限らない。精神的に充足したとしても、逆もまた然り、である。

 

物質的な満足を得ることは、精神の満足を得るよりも、ぼくにとってはずっと楽である。屹度その意味では恵まれた環境に置かれているので、ただ精魂擦り減らして働けば良いからである。

 

しかし精神のそれを得るとなると、なぜだか上手くいかない。あまりにも不得手。

精魂擦り減らせばその分継ぎ足さねばならない訳で、それが幾分苦手なのだ。

 

減ったコップの水は元通りにすればいい。だから減った分を継ぎ足せばいい。しかしぼくはその減った分を酒やら何なりで継ぎ足す。減ったのと同じ量を注いだはずなのに、気づけば減っている。一時の快楽だとか悦楽だとかは得られるけれども、それはあくまで一時なのである。少しの時間コップは一杯になるけれども、朝起きたらほとんどなくなっているのだ。

 

正に学生の頃とさして変わらぬ日々である。

禁酒を半年ほど続けたが、社会人になってからそれが嘘だったかのように飲み狂っている。

辞めた紙煙草も、吸うようになってしまった。

 

全部が全部、逆再生のように元通りになっていく。

整ったなんて口が裂けても言えない。自堕落を享受する毎日。

 

しかし職場ではいわゆるしっかり者の類として振舞っているので、さていつボロが出るかと言うしょうもない不安に駆られている。ここもまたどうでもいい不安の一つである。

 

冒頭で「不安が現実的なものになった」と書いたが、文章を連ねているうちにそうではないことに気づいた。

昔と同じ、非現実的な、不必要な不安ばかりではなかろうか。

 

いつまでたっても成長のない人間。

 

就活では自己成長を語っていた。もはや詭弁である。