雑記

何故か卒業出来てしまった。

 

9月。大学4年の後期に入った時点で、残単位数は25、卒論は手をつけてすらいなかった。

 

最初はまあどうにかなるだろうなんて思っていたが、これが年の瀬になるとそれはもう大焦りである。

 

当時、健忘の出る睡眠薬を飲んでいたのだが焦りに焦ったぼくは真夜中、父に大泣きの電話をかけて「全て終わった(意訳)」みたいな事を伝えたらしい。

 

健忘は健忘なので翌朝のぼくはそんな事知る由もない。呑気に家を出る支度をしていた。

丁度ドアノブに手を掛けるかと言う位の時に母から電話があり「週末そっちに行こうか?それか福岡に帰ってくる?」と言われた。

 

深夜に喚き散らしたことなぞ知らぬのでぼくはポカーンである。

上で「らしい」と書いたのはそういうことである。知らないものだから仕方がない。仕方なくないけど。

 

とまあそんなこんなでピーピー騒ぎながら耐震法に即抵触するような卒論を書き上げ、授業に出て、試験を受けレポートを提出し、という様な4年後期であった。

授業に出るなんて当たり前じゃないかと言われればその通りですと言う他無いが、ぼくは5限に寝坊する男である。

 

途中数ヶ月の間、失声症になり人と話すことが出来なくなったが、偶々黙って受けてれば良い授業しか取ってなかったので問題にならず。ここに関しては不幸中の幸いの極みである。マジでよかった。

 

とは言え試験期間中にもなると気が気で無い。

一つでも落とすと留年確定だった故

 

「これ落としたらオワ?」

「内定どうなるん?消えるんか?」

「親はなんて言う?身から出た錆?その通り!」

 

など幾多の不安で不眠症大悪化。余りにもしょうもない不安である。

 

 

ざっくり言うとえも言えぬ不安に苛まれていたのだ。全部自己起因なのがぼくらしいですね。

 

 

試験が全て終わった後はとにかく卒業していて欲しかったが、いざそれが現実となると正直拍子抜けではある。何故ぼくが経済学を取れたのか甚だ疑問でしかない。温情とはこの事なのだろうか?

 

 

 

いつもの如く着地点が見つかりそうにないので、この辺で無理矢理終わらせに掛かる。

 

大学卒業に当たって寂しいポイント第一位は、生協で本が買えなくなる事である。大学生協は定価の7掛けで買えるのだ。

 

 

余りにも強引過ぎる。ぼくは起承転結を知らんのか。

とは言え迷走してきたので了!屹度これが最善!!