雑記 切れた弦
何か憂鬱なことがあると、テスラのsong&emotionという曲をギターで弾く。
この曲は、始めこそ静かなバラードだが、情緒性の高いギターソロから爆発的に盛り上がる。
そして、そのソロはチョーキングで始まる。
で、一音目をチョーキングした時、弦が切れた。
ギターを弾いている時に弦が切れると、大抵の人は「ア」と思って一瞬止まり、如何とも言えない気持ちになると思う。例に漏れずぼくもそうである。
今回もそうだった。
そうだったんだけど、弦が切れたのとは別の何かが、どうだか分からないが、何かが切れた気がした。
その時、直感的に「何だろう、もう音楽するのいいや」と思った。
今、家にある楽器類は、一本のギター、マルチエフェクター、ベース、そしてMIDIキーボードである。
なんとなく、全部手放そうかな、と思った。
ギターは、高校入試を終えた時に祖母が買ってくれた、いわゆる初めての「ちゃんとしたギター」である。PRSのSE。
「祖母が買ってくれた思い出のギター」という理由だけで手放さずに手元に置いている。それ以外の理由は特段無い。
とは言え、全く弦を鳴らしていなかった訳ではない。
しかしここ暫くは、弦が切れるたびに、なんだか張り替える気になれなくて、殆ど弾いていなかった。
で、やっと張り替えて弾いていた訳であるが、今回弦が切れた時に、何か自分の中でギリギリのところを保っていた何かが、ぷつんと切れてしまった気がした。
ギターを手放せばエフェクターも必要ないし、正直ベースももう弾かない。
実家に帰ればアップライトのピアノがあるので、MIDIキーボードも要らない気がする。
めっきり楽器を触らなくなっていたので、へたくそになっていく自分に辟易していたのかもしれない。
そういえばドラムスティックも2セット持っている。まあこれは別に持っててもいいかな、これだけじゃ何も出来ないし。
と、そんなふうに色々思ったのは、件の弦の話以外にもまた理由があって、久しぶりにカラオケに行って歌ったときのこともその一つだと思う。
びっくりするくらい声が出なくなっていたのだ。喉は痛いし、高い音は出なくなっていた。
自分でも一番驚いたのは、歌うと腹、というか腹筋なのか腰なのか、堪らなく痛くてどの曲も1サビまでしか歌えなくなっていたことだ。
あの曲はこういう風に歌おうとか、この曲はここでがなろうとか、そういうことを考える余裕とか全くもって無かった。
最近、女性ボーカルの曲を好んで聴いていたのは、歌えないことがわかっていたからかもしれない。
歌えそうな曲をすきになって、歌えなかったときのことを考えたく無いのだ。THE TOKYOの雨街Bluesとか、本当にそういう類のものだと思う。今はあの声が出せない。
何をやっても中途半端なところで終わってしまうな、と事ある度に思うが、やはり例に漏れず。
唯一続いているものは、本を読むことくらいな気がする。
でもその本で何かを学んでいるかと聞かれれば、たぶん学んで無い。たぶんというか、学んで無い。
ショーペンハウエルを好んでよく読んでいるが、彼は「強い者は嘆かない」と言う。
ほらね。
著者の思想に合わせることが「学ぶ」行為たり得る訳ではないけど。
でも、何故かぼくの中には「本を読んで賢い気分になりたいぼく」と「本好きのくせに何も学べないかわいそうなやつ」の2人が居る。
気持ちわる、面倒くさ。
話を戻すと、たぶんこれからは気分が浮かない時にギターに救いを求めることがなくなるんでしょう。
だとしたら何にすがるのだろう。食事?読書?睡眠?
食べ物は食えない。本は読みすぎると腰が痛くて堪らない。睡眠はとれない。
結局、音楽を聴いて、たまに気晴らしだとか理由をつけてカラオケに行って、陰鬱な気持ちになって帰宅するんでしょう。
予定調和の人生です。恥の多い生涯を送っています。