雑記
本を読んで、知識を得た気になる。
理解はしていないだろう、きっと表面上の薄皮を食べたくらいのこと。
大学の授業をここに来て食わず嫌いせず受けるようになって、知識を得た気になる。
周りの人を見てみましょう、当たり前のこと。
変に気取って文章を書くのも、ちょっと物珍しいものに手を出すのも、同じこと。
あれも、これも、どれも、結局表層を掠っただけなのに、一から十を得た気になっている。
そのなけなしではあるけれど、ちっぽけではあるけれど、せっかく得たものすら、捨ててしまう。
意識的に捨てている訳ではないけれども、結果的に捨てている。
毎日馬鹿の一つ覚えのように自堕落な生活を続けているので、特段可笑しなことではない。
一年間に本を百冊以上読むのは、自分にしては珍しく盛っていないことだし、嘘ではない。けれど、そうやって折角付けた脳みそのシワは、知らない内にアイロンで伸ばされている。伸ばされているというか、伸ばしているのよ。
一ヶ月前に読んだ哲学書は、どれだけ覚えている?
そもそも理解できていたと言える?
多分、言えない。
やれ自戒だ、やれ反省だ、と記録には残すが、そのうちいくらを覚えているだろう。
生きてしまっている以上、それは物語ではなく現実である。作れない。
作っても、その意思が介在するので、それは物語ではない、事実そのもの。
下人の行方は誰も知らないでは済まされんのである。