実践惰性批判

ロシアが民主国家になり三十年、それに続いて中国が完全に民主化して二十五年が経った。台湾は中華民国として独立し、北朝鮮と韓国はやっと終戦に漕ぎ着け、幾世紀振りに一つの国家になった。日本で言うと、北方領土は両国間の緩衝地帯として位置付けられるなど、国内における政治的・軍事的問題はひと段落着いた。それは他の諸国間でも同じで、地球上における種々の蟠りは概ね解消されたように見えた。

そもそも現代において、「国家」という枠組み自体前近代なものであり、諸国間はある種連邦のように緩やかに、しかし硬く結びついていた。最早世界が一つの「国家」であるかのように振る舞い、安寧かつ有機的に動いていた。

 

資本主義経済が破綻すると時を同じくして、貨幣経済も破綻した。今や野口英世が印刷された紙切れは骨董品の価値すら持たず、図鑑にひっそりと顔を浮かべているだけだ。夏目や樋口のそれも同様である。

 

近世にパンデミックを経験し、そして高度にシステム化が進んだ社会では、生きる為に外出する必要はなくなった。仕事も購買行動も、端末一つで完結する時代は半世紀以上前に到来している。オフィス街を形成していたビル群はその必要性を失うと共に取り壊され、都市部は二十世紀前半のような自然を取り戻した。かつてサラリーマンで溢れかえった渋谷や三田は、今となってはコンクリートよりも緑の方が多い。それ故、今や外出といえば専ら娯楽の為である。

 

加速度的に発達したテクノロジーによって、国民、国家、そして世界に平和が訪れた。物心共に満足の行く生活を万人が送ることのできる世の中では、政党政治という概念は廃れ、またそれは国家間でも同じだった。諍いが無くなったというよりは、諍う必要がなくなったのだ。そしてそれもやはり、どの国においてもーー結果的にはーーそうなった。

 

そんな世界では、各々が選り好みあった各々と関わり合い、各々の社会を形成していった。それらは極端に開放的で、一方で極端に閉鎖的だった。同時に以前の「社会」を形成していた概念ーー主として政党、会社、地方自治体などーーは完全に瓦解し、再構築された。こと日本においては、皮肉的ながらも以前のそれよりも、断然に大きな帰属意識をもたらした。

 

それ故「各々の社会に馴染むことのできない各々」は、絶望していた。家に居ても、オンラインでも繋がる人間はいない。緑あふれる渋谷に繰り出したとて雑踏の中ただ独り。数世代前なら銅製の柴犬が共に時間を過ごしてくれたかもしれないが、付近のオフィス街解体と共に彼は保存の為MoMATに送られていた。彼らはただ孤独を体験し続け、ただ絶望していた。孤独を感じるのは一人の時よりも、むしろ大勢の中に独り居る時なのである。

 

この時代において、「社会に馴染めない」ことはある種の死を意味した。労働せずとも生きていける時代、換言すれば生きることを強制された時代である。どのコミュニティにも帰属意識を持てぬまま宙ぶらりんの状態で、生のみを保障される。たとえ自殺など試みようとも、ここは高度に発達した電脳的な監視社会である。すぐに発見され、また生きることを強いられる。されなくとも「適切な」医療措置を施されて生かされる。金槌を打つ音が聞こえ全てを投げ出したくなっても世間ーー勿論彼らの属さない社会の或形態ーーはそれを止めにくる。

 

 

今日における過去、つまり二十一世紀の学者たちはこぞって「近い内に人類最大の黄金期が来るだろう」と言ったし、実際それは達成された。もしくは達成されたと言って良いように思える。しかし、その「人類」の幅はあくまでも大部分を含むだけで、人類全てを包括している訳ではない。

 

アレキサンダーがそうだったように、ローマがそうだったように、オスマンの帝国がそうだったように、西欧がそうだったように、アメリカがそうだったように。多数の主語は常に全ての主語であり続ける。少数は単なる主語に成り得ても多数の主語には成り得ないのだ。そして、それに多寡の概念は組み込まれない。多数は多数であり続け、少数は少数であり続ける。たとえ少数の方が多かろうとも。

 

さりとて、前近代においては少数同士が結束することができた。アジアがそうであったように、アフリカがそうであったように、少数が多数の一員へと変わりゆくことが出来た。声を上げ続ければいつか人が集まると誰かが言ったが、実際そうだった。私も二十一世紀までに少数の声が世界を動かした話は歴史小説で幾度も読んだことがある。

 

しかし、現代は違う。身分や立場を問わず一人ひとりが零と一の世界で管理される世の中では、下手に声を上げることができない。常にサイバーの目が光っている。仮想現実でなくとも同様である。声を上げたとて監視か忌避の対象になるかが相場である。

 

彼らは、声にならない声を上げ続けていた。内面に叫び続けていた。ただ独りで絶望していた。その傍らで、無理なものは無理だと割り切るしかないと薄々悟っていた。それでも、淡い希望を捨てきらずに時間を浪費し続けた。どうすれば解決出来るか、ないしは改善出来るか知っているのにも関わらず、ただ時間を浪費し続けた。語り得ぬものについては黙らなければならないという言葉の本質を理解しておきながら、「語り得ないもの」のせいにし続けた。

 

「声を上げられない世の中だから」と彼らはシステムに悲観し、ペシミズムの沼に溺れていったが、どこか心の片隅でそれがシステムではなく自分のせいなのだと知っていた。なべて己が悪いと知っておきながら、システムのせいにし続けた。それが心の片隅にではなく中心にあるのに、片隅に無理やり仕舞い込みたいと思っていることも判っていた。絡み合った充電ケーブルのように縺れた感情を解こうともせず、ただ絶望という二文字で整理しきった気になっていた。

 

結局、内面に叫び続けた彼らは、その内面を真っ向から見つめることをしなかった。なぜ自分がその環境下でその心持ちになるのか、直視しなかった。彼らは多寡を気にしすぎていたし、少数であることをある種肯定的に自認していた。だから、ずっと少数のままだった。

 

いつの時代でも、それは同じ話だろうと私は思った。少なくとも絶対王政以後の世界においては。力で物を言わす世界でなければ。精神と言語の世界においては。語り得ぬものの対象が人権でない世界においては。

そして、たとえ時間が直線的なものであっても円環的なものであっても、もしくはそれ以外でも、それは同じだろうと思った。彼らは変わらないし、変わろうとしないのだから。