雑記 鬱憤

今年もまた、沢山の就活生がサイクロンに巻き込まれて死んでいった。

 

2025年になった日本では、オリンピック景気など跡形も残す所無い。絶望的な不況は圧倒的な買い手市場を作り出し、ポスト1つに津波の様に就活生が押し寄せる。職を得ることは、ごく限られた人間にしか許され無い時代。狭い狭い門。

 

選別の過程では、実績の無い者は淘汰される。辺りを見回すと、部長と委員長と何かしらのリーダーしか居ない。9割嘘の自己PRですら必須武器なのだ。

 

何方かの思惑で無理矢理に一元化されたルール。企業人事と就活生は本来対等な立場であるはずだけれど、そこにあるのは絶対的な上下関係。齟齬に首をかしげる人々、媚び諂い本来の自分を見せることの無い人々、それらに辟易して考えるのを止めてしまった人々。

 

今後の活躍を祈念される毎日に辟易する就活生たちは、この状況を打開すべく、とにかくPDCAを回した。がむしゃらに回した。鬱と不安を原動力に彼らが回すサイクルはやがて大きなサイクロンとなり、首都圏を支えるほどのエネルギー源になった。風力発電の完成形である。

 

日本が資源貧国であることに議論の余地は無い。言う迄も無く、彼らは存在意義を見つけたのである。

 

それに意義があるとわかった途端、日本は動き出した。シュウカツに辟易した人々を集めて各地に発電所が作られたのだ。途端に日本のエネルギー自給率は100%になり、持続的社会の一旦が構築された。

 

突然の就活生礼讃に企業は慌てた。圧倒的買い手市場から絶望的な売り手市場へと変貌した新卒市場。大手企業では経営陣が大量にリストラされ、天下り先でさえも新卒の枠が占めた。

 

時代は変わったのだ。解せぬルールと常識の元で進む就活は終わった。それに辟易した就活生の手によって。

 

「で、将来何したいの?」「うちで何に貢献できるの?」「それ、やってきた意味ある?」「熱意は?」「へえ、薄っぺらい人間なんだね」「広く浅いなあ」

 

好き放題言われる時代は終わったのである。今、日本を支えるのは好き放題言われてきた就活生だ。自分を見失い、鬱屈としていた就活生たちだ。彼らの作り出すサイクロンが、この日本を支えているのだ。

 

 

 

 

3年後、日本のエネルギー自給率は8%にまで下がった。全ての発電所が閉鎖されたのだ。労働問題、人権問題。多くの人間が自ら愚神礼賛が生んだ悲劇。弱者利用のビジネスなど長続きする筈も無く、「ブラック」と揶揄され淘汰されて行った。結局、良く悪くも日本はずっと日本なのだ。

 

最終的に自分の進退を決めるのは自分だ。それは当たり前にそうなのだ。ただ、外的要因が大きすぎやしないか、不自由な部分が少しばかり多く無いか、と思った。

 

ほとんど穀潰しにこの文章を認めているので特段意味がある訳でも伝えたいことがある訳でも無いが、就活中に感じたことを書いていたら肥大化してこうなりました。以上です。