今年も夏がきてしまいましたね

カフェで勉強するときに、無意識下にルール付けていることがあるなあ、とふと気づいた。

ぼくは、隣席の人が同じように勉強していたら、自分の後から来た人が勉強を始めたら、もしくは読書を始めたら、きまってその人たちより長居する。別に大した理由などないのだけれど、自分の習性はなんだかサウナ好きの人みたいだ、なんて思って少し笑える。

 

ぼくが笑えたとて店側からしたらたまったものではない。単純に考えて回転率や購入人数が減るほど薄利になるからだ。

一方で、従業員からしてみればそういう客の方が以外と楽だったりする。来客の回転が早いとせかせかして手が回らなくなってくるのだ。飲食店で働いたことがあるのでわかる、と言いたいところだがこれはまあただの言い訳である。

 

と、近所のコメダコーヒーでこの文章を書いている。感染症が幅を利かせ出してからは長居することは無くなってしまって、なんとなく立ち寄る場所、みたいになってしまった。それでも毎年の夏と同じくしていつ来ても店内は涼しいし、いつもと同じようにトーストが出る。ちなみに朝はBモーニングしか食べたことがない。あのたまごペースト美味しいよね。

 

そんなこんなで今年も夏が来てしまった。一年の中でいちばんすきなのは冬だ。100回くらい言ってきた。でも嫌いというよりは、冬の方がすきなところが多い、という感じである。

 

そうは言っても、夏にだってすきなところはある。うだる暑さと湿気を歩いたあと、冷房の効いた店に入ったとき。冷蔵庫で冷やした水を風呂上がりに一気に飲み干すこと。暗くなってから蝉が泣くのをやめた静けさ。バカみたいな炎天下の中仲間内で行くビアガーデン。

 

ぼくは最後のが夏でいちばんすきなのだが、今年はどうも感染症でそういう訳にはいかない。別段ビールがすきな訳ではないので、一人で飲む冷えたプレモルなんて生ぬるい発泡酒と同じなのだ。結局ぼくにとってはそんなもんで、ビールよりも雰囲気、みたいなよくある話だと思う。

 

思うに今年は、なんとなく集まって、なんとなく飲んで、なんとなく楽しい、みたいなことがあんまりなさそうである。

思い返してみれば自分の記憶の中にある楽しい思い出は、だいたい”なんとなく”楽しかったなあというものばかりだ。結局、物事の程度は中庸がいいのかもしれない。

 

もう夏だ。もう夏か。今年は鬼のように早く時間が過ぎていく。大学の卒業式が中止になり、入社式が中止になり、研修もオンラインになり、気づけばもう8月の中旬に入った。

 

その一方で、どこか時が止まっている。なんとなく「まだぼくは社会に出てなんかいないのではないか」なんて思う。卒業式とか入社式とか、区切りを付ける機能を果たす行事が軒並み消えてしまったので、なんだか自分の存るべき場所を大学から切り離せていないような感じがする。

そもそも大学在るべき場所だったのかという疑問は残るけれども、とにかく地に足つかぬままここまで来てしまった感がある。そして多分、心の奥底でまだ学生でいたいと思っている自分がいる。まだ社会に出るには心が幼稚すぎるのだと思う。

 

高校の同期に(多分仲が良いからこそ)”傍若無人なわがまま大魔王”と呼ばれていた友人がいるが、その文字の羅列を見るたびに「それぼくだなあ」と思っていた。

 

さて来年のぼくはどうなっていることだろう。今まで自分を見てきて思うけれど、8割方幼稚なままだと思う。普段のぼくは残りの2割にかけて頑張ろうとか成長しないとなとか思うけれど別に何もしないので、毎回8割の方の結果になる。来年とは言わず近いうちに2割の方の自分になってると良いですね。

 

蝉が鳴くのが止んだりまた始まったりしている。近所の軒先きの風鈴がほんの少しだけ涼しい。早くヒグラシが鳴いて秋のもの寂しい涼しさが来て、そして暖房の要る冬になってください。お願いします。

 

P.S. 地球温暖化、マジでなくなれ