先は見えない

 目が覚めた。

 

 私は、自宅の羽毛布団の中で、すや、と眠っていたはずだが、虹彩に映る景色は記憶に無い。不思議と恐怖や焦りは無く、頭の中に、ぼうっと朧掛った靄を取り払うのに、長い時間は必要としなかった。どうやら、私は建物の中に居るらしい。壁一面がコンクリイトの、無機質で彩られた、明るくも暗くもない、何処までも無表情な部屋である。誰が、何の為に、如何にして、私を此所に連れたのか、私にはまったく解らなかった。とは言え、臥していては何にも成らぬ、立って歩かねばならぬ。私は歩き出した。

 長い、長い廊下を、只、只管に、進む。進んでも進んでも、眼前は、一さいの変化が無い。一つの継ぎ目も無い床と壁は、私の心を破壊せしめる為の物なのか、と言う様な思いを持ったが、私なぞの為に此れ程の建物など作らまい、既存の建物に連れられたのだろう、と思う事にした。

 廊下を進み続けると、小さな部屋が一つ、ぽつりと有った。扉を押して中に入ると、それは、正方形の部屋であった。中央には、正方形の机が有り、机上には、小さな箱が一つ、置かれていた。机と箱以外は何も無い、何処までも無機質な部屋であったが、無機質さとはまた違う、物淋しさの有る部屋であった。蓋を開けると、幼少の時分に撮られた、私と私の家族の写真が一枚、入っていた。生家の門前で、一同に会して撮った物である。何故此所に、と言う思いは束の間に蒸発し、是以降気にかかる事は無かった。写真を羽織の袖に仕舞い、もうこの部屋には見るべき物が無い事を確認して、ゆっくりと部屋を出た。

 暫く歩くと、又一つ、小さな部屋が有った。中に入ると先刻の部屋と何一つ変わらない様相を呈していた。机、箱も全く同じ物が、全く同じ場所に有る。早速机に寄って箱に手をあけ、蓋を開ける。其処には矢張り、写真が一枚、有った。撮られた場所、風景、季節、一見すると全て同一である。只一つ違うのは、映る自分と、他の人達であった。其処に映る私は三十くらいであろうか、幾分先程よりも年を取っていた。周りに映る親族も少しばかり変わっていた。あの写真に写る祖父母は居なくなり、他の面々も幾分老いた。代わりに幼子が3人、私の周りに居た。先刻の部屋よりも長く、物思いに耽った。そして、同じ様に、ゆっくりと部屋を出た。

 また、長い廊下が続く。袖には昔能く吸った煙草が入っていたので、久しぶりに、とマッチを擦り、煙を揺らしながら歩いた。箱を潰す頃、また、部屋が有った。矢張り、同じ部屋である。机、箱、何も変わらずである。箱を開けるとまた写真が有った。今度は老いた私が其処に居た。親族の面々も随分と変わり、三人の幼子は、二人、立派に育ち、一人は写って居なかった。写真以外に見る物が無い事は分かっていたので、部屋を出た。

 果然、長い廊下が続いた。併し、今度は上階へと続く階段が現れた。一つ、一つ、ゆっくりと上って行く。上っても、上っても、続く。何が無し、疲労の類いは無い。上る、上る、上って、上る。ゆっくりと、けれども止まらず、上って行く。上った先には、何が有るのか、否何も無いのか、分からない。然し乍ら、私は上り続けた。

 上った先には、小部屋が有った。正方形で、部屋の中央に正方形の机が、机上には小さな箱が有る、あの部屋である。今回も写真が有るのだろう、蓋に手をかけ中身を見たが、何も入っていない。初めて、この場所に来てから違和感らしい違和感を覚えた。違和感を覚える筈である時機は数多と有った筈だが、是が初めてである。えも言えぬ違和感に包まれた私は、取り敢えず、部屋を出た。

 部屋を出ると、其処には何も無かった。上って来た階段も、壁も、天井も、先程の部屋も、其の扉も、何も無かった。真っ白な空間が何処までも広がっている。正方形の、二畳程の大きさの床が一つ、ぷかりと浮いていて、私は其の上に居た。風も、音も、無い。どんな人間でも、此所に半日でも居れば、気が狂ってしまうだろう、そんな場所である。併し、私は、至って平静であった。

 

 ああ、と察した私は、静かに座った。多分、自分が終わったのだろう、と思った。治り掛けた瘡蓋を意味なく剥がした様な、そんな気分であった。ゆっくりと歩き続けたこの廊下は、小部屋は、ある種走馬灯的な物だったのだろう。一刻に沢山の記憶が駆けるのが走馬灯だと訊くが、だらだらと、一つずつ見て歩いたのが、どうも私らしいな、と思ったのである。屹度、最後の部屋に写真が有ったとしても、私の姿は無かったのだろう。

 

 卒業。

 

 哀しいとか、疲れたとか、その類いの感情は無い。少しばかりの寂しさと、この場所の存在自体に対する疑念が残る、そんな心持ちである。然りとて、結局全ての根源は自分だったのであろう。誰が、何の為に、如何にして、私を此所に連れたのか。私が、私の為に、私を此所に連れて来たのだ。屹度是は、夢であって、夢でない。目覚める事が出来るか、そうでないか、目覚めたら如何なるのか、私にも解らない。只一つ、自分は終わった、其の確信が有るのみである。肉体的な死なのか、精神的な死なのか、あるいは其の両方なのか、解らない。兎に角、終わったのである。成る様になる、ただ、一さいは、過ぎて行く。 

 

 私は、終わったのである。