雑記
最近、いつになく本を読んでいる。
平均して一年に百〜二百冊近くの本を読むけれど、このペースだと今年はもしかしたら三百冊くらいになるのかも知れない。
本は買うし、借りる。借りてよかったら、買う。
家からすぐのところに図書館があるので、最近はそこに足繁く通っている。お世話になっております。
長いこと小説と歴史系の本を読んでいたけれど、最近は専ら後者ばかりだ。
そういう類の本は、だいたいその作中で「何某の著作では」、などと別の本を紹介してくれているので、次にその本を読む。そしてその本の中ではやはり何某の、とあるのでそれを読む。
ずうっと読みたい本が出てくるので飽きなくて良いのである。読みたい本が有る時の心持ちは、わくわくふわふわしていて良い。何かに興味を持てることはきっと幸せなのだ。
自分のすきな小説家を挙げろと言われれば上から数番目にマーク・トゥエインが来るが、彼はそれで知ったひとである。
ギリシアやローマの哲学者たちの本を漁るように読むようになったのも、歴史に対する興味が昂じたから、と思う。
未来に必然性は無いが、過去は必然である。
何故誰々がそれを成し得たか、或る国が興り滅んだかは、絶対的に必然なのだ、と思う。偶然であっても、そうなった以上、必然だろう、とも思える。
だから面白いのである。歴史はどんな小説よりも面白い、そんな風に思う。
絶対的なストーリー性や因果性があるし、ジグソーパズルのピースをひとつひとつはめ込んでいく様な、そんな趣向がある。
塩野七生の諸作を読んでいる時とか、ギリシアやローマに生きた知識人の諸作を読んでいる時とか、色んな時にそう思えるのだ。
(塩野作品はあくまでも歴史小説ではあるが、また歴史に忠実にある点で「歴史」であると思う)
話は逸れてしまったけれど、だから歴史に纏わる本がすきなんです。
ぼくの何億倍も頭が良くて、いろんな経験をして、今程便利じゃない世界を生きたひとたちの記憶や創作がたったの数百円、千円ちょっとで手に出来るの、きっと、すごいことですよね。
例えば古代ギリシアのデモクリトスは、紀元前5-4世紀に生きたひとだけど、原子の存在やその移動方式、ダーウィンの様な進化論を唱えています。当時万物の根元は火だったり水だったり、とか論争されてた時に、です。ちなみに近代原子論が唱え始められたのは十九世紀に入ってから。
そんな人が書き認めた文章が千円足らずで読める、と思うとすごくわくわくしてしまいます。
当時の価値観との乖離や同一性が一つずつわかっていくのも楽しいです。
その結果、本棚に岩波が増えていくんですけど。
そんなことを考えながら今日もストロングゼロを飲んでいます。そろそろ誤字脱字のスーパーウルトラパレードになりそうなのでこの辺でやめておきます。