アルトマンについて語った

 1970代前後のアメリカは、ベトナム戦争の泥沼化により反戦・反政府ムードに覆われていた。同時に社会は大きく変化を遂げていく訳であるが、芸術分野、とりわけ映画というジャンルも例外ではなかった。端的な例を挙げると、反戦争映画が多く作られたことや、従来の映画規定が撤廃されたことで、より自由な作風の映画が増えていったことなどが挙げられる。また、その時代は古典期のハリウッド作品と比較され、一般的に「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれる。中でもロバート・アルトマンはその革新性や実験性で他の映画監督たちと一線を画す人物であり、音声手法や映像制作技法など、古典期作品や同時代作品と比較すると「新たな試み」と言える特徴が多くの作品に通底して存在する。

本稿では、その「アメリカン・ニューシネマ」における記念碑的作品かつアルトマンを映画監督として知らしめることとなった作品『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』(1970)に着目し、他作品と比較することで彼の映画製作における特性を「反骨精神」と「実験性」という2つの要素から分解し、その自由性や彼の求めた理想を紐解くことを目的とする。

 また、数ある作品の中で『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』を選択した理由としては、大きく分けて主に2つある。まず第一に、その時代背景である。ベトナム戦争の泥沼化による反政府ムーヴメントというアメリカ国内の社会情勢とそのニーズがアルトマンの特性とマッチングした故に『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H』が大ヒットした、ということである。複数の要素が入り組んでいる故のヒットであり、それが彼の監督作品におけるマイルストーン的なものである、ということに意義があると考える。また、本作品がその時代、すなわち「アメリカン・ニューシネマ」期を代表する作品であるということも上同である。第二に、初期作品であるにもかかわらず『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』中にアルトマン的特性がすでに多く盛り込まれていることだ。群像劇、音声手法、「ズーム・イン」に見られる撮影手法やその意図など、のちの作品にも通底して散見される特性が既にこの作品に盛り込まれていることは、本作をマイルストーンたらしめる、アルトマンたらしめるに十分な意味があろう。

 それでは、次項より彼の来歴を追いながら詳しく述べていくことにする。

 

 まず、彼の来歴の紹介から行う。

年を追って紹介していくことにしよう。彼は1925年に生まれ、2006年まで生きた人で、その人生で38本の監督作品を残した。

はじめは短編作品やドキュメンタリー作品などを中心に活動したが、テレビドラマの作家として一躍注目を浴びるようになる。その中で彼の手がけた「コンバット!」は自身の戦争体験をもとに描かれた作品で、本国のみならず日本でも放映されるほどの人気を博した。

 そして、1970年。彼をハリウッド映画監督として知らしめることになる『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』が制作された。それに続いて『ロング・グッドバイ』(1973)や『ジャックポット』(1974)、群像劇『ナッシュビル』(1975)や『ビッグ・アメリカン』(1976)を発表。『ビッグ・アメリカン』はベルリン国際映画祭金熊賞を受賞するなど、内外から高く評価されている作品である。余談だが、『ロング・グッドバイ』は筆者がアルトマン作品の中で最も好きな作品だ。レイモンド・チャンドラー原作の同名作品をアルトマンが映画化したもので、音楽はジャズの巨匠ジョン・ウィリアムズが手がけている。私立探偵フィリップ・マーロウの生活を描く作品で、主演は彼の盟友エリオット・グールド。いわゆる”ハード・ボイルド”作品である。「アルトマンらしさ」が詰まった一作だと筆者は捉えているので、気になった方がいらっしゃればぜひ鑑賞していただきたい所存である。古典的なハリウッド映画とはどこか違う不自然さを感じられるはずだ。(その不自然さについても後ほど言及する)

 少し話が逸れたが、アルトマンの来歴に話題を戻すことにする。

1970年代とは打って変わって、80年代に入ると彼の作品評価はぐっと下がり、低迷期に入る。そしてそれを打開したのが、1992年に発表された群像劇『ザ・プレイヤー』だ。本作は、第45回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞している。そして続く1993年、群像劇『ショート・カッツ』で第50回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞。これにより、世界三大映画祭において最高賞を制覇した史上3人目の映画監督となった。

その後、幾つかの賞を受賞しながら2006年、ついにアカデミー賞名誉賞を受賞する。今までノミネートされつつも受賞がなかったアルトマンにとって自身初のアカデミー賞であり、受賞スピーチでの「公表していなかったが先日心臓移植手術を受けた。だからあと50年は生きて映画を作りたい」という言葉は非常に印象的である。

そしてその受賞の8ヶ月後、入院していた病院内で死去。81歳だった。遺作は同年に発表された『今宵、フィッツジェラルド劇場で』で、やはり群像劇である。本作は第56回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に選出された作品でもある。

 以上が大まかなアルトマンの大まかな来歴だ。

                    

 ここで本稿で中心的に扱う、彼の映画作品における特性に言及する。本稿においては彼の特性を「反骨精神(Anti-establishment)」と「実験性」という2つのキーワードで紐解いていく。前者の「反骨精神」に関しては、全てに対する反抗(Rebellious spirit)ではないと筆者は考えている。というのも、アルトマン自身が「観客それぞれが自由な解釈を得られるように映画を製作している」と述べており、大衆に対する反骨精神というよりは、既成の権威、すなわち古典期のハリウッド映画に対する「反骨精神」であると解釈することが妥当であると考えられるからだ。しかしながら、アルトマンは古典期作品の特徴も継承しつつ新たな試みを行っている。ゆえに、「反骨精神」と「実験性」という2つの要素から紐解くことが必要であると考える。


 まず、前提となる時代背景から解説し、その後それぞれのキーワードに触れていくことにする。彼が映画監督として名を挙げた1970年代前後、アメリカはベトナム戦争の泥沼化により反政府・反戦運動が盛んに行われていた。周知の通りアメリカ国外も例外ではなく、世界的に「アメリカ軍はベトナムから撤退せよ」というムードが漂った時代である。1960年代、アメリカ国内の学生運動から始まり、その反戦運動は世界へと伝播していった。その中でアメリカ国内ではいわゆるヒッピー文化などが若者の間で受容・愛好されるようになるなど、芸術分野においても変化が起きていた。端的な言葉で表現するならば、「カウンターカルチャーの時代」と言えるだろう。それが下敷きとなり、ハリウッド映画界は「古典ハリウッド」の時代から「ニューシネマ・アメリカン」への時代へと移行していった。その中で政府に対して批判的な作品が数多く生まれ、アメリカ映画は他の芸術分野と同様に変革期を迎えたのである。またほぼ同時期の68年に、ヘイズコードと呼ばれる倫理規定が廃止されたことも一つの要因であると考えられる。この規定は、残酷なシーンや理由のない暴力、性描写などを禁止したもので、それゆえ、この条項が施行されていた古典期ハリウッド作品には上記の描写が少ない。 例えば、古典期の西部劇においては抵抗できない相手に対して銃弾を撃ち込みまくるといった描写は見られないが、ヘイズコード撤廃後の作品には散見される。

また、近年の作品にも比較例を挙げることができよう。1996年に発表されたトム・ハンクス主演のフランク・ダラボン監督作品『グリーンマイル』では、死刑囚が電気椅子による粗忽な処刑により苦しみながら絶命する極めて凄惨なシーンや、冤罪の主人公的死刑囚コーフィが電気椅子で処刑されるシーンが事細かに映し出されるが、ヘイズコードは克明な「電気椅子での処刑描写」を禁止していたため、古典期作品にそのようなシーンを見ることは難しい。

 こういった「ニューシネマ」という革新の時代においてアルトマンが作品を制作し、それらが時代にマッチングした、というのは意義深い事実であり、その作品群の中にはアルトマンの意匠が多く読み取れる。


 そして、ここからは冒頭で述べた2つのキーワードのうちの1つ、「反骨精神」について述べる。まず「アルトマンといえば」と言える代表的な例が「ズーム・イン」の多様である。当時、映画撮影においては「ドリー」と呼ばれるレールを地面に敷き、その上でカメラを走らせながら撮影する手法が多く採られていた。そのドリーを使い被写体をじわじわとアップで撮影していく手法を「ドリー・イン」と呼ぶ。イメージとしてはズームに近いが、ドリーを使ってインしていくこと(アップしていくこと)で、被写体と背景の2者間において奥行きを出すことができる。一方、ズームでインした場合、画像をただトリミングしたように対象物がただ大きくなるのみである。そのため、ドリーを用いた場合と比べて大きな視覚効果は得られない。したがって、当時の映画界では「ズーム・イン」は「ドリー・イン」に劣るものであると多くの人が考えていたようである。事実、アルトマン監督作品で映像を担当したハル・スタインは、ズームの多用を求めるアルトマンに対して「ズームなんていんちきだ、遠近感を狂わせる」と述べている。以上から、「ドリー・イン」こそが伝統的な撮影手法である、ということがわかる。つまり、伝統的な撮影方法に対抗して、「ズーム・イン」の多用を行ったのである。

 また、アルトマンは権威主義を軽蔑した人物として知られる。当時の映画業界は権威主義的・保守的であり、アルトマンが『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』を制作した20世紀フォックス社も同様であった。そのため、社内上層部は過激な描写や反戦的な映画製作に否定的だったのである。故に、アルトマンはその目に止まらぬよう陰に隠れながら本作を制作したのだが、それも権威主義に対する「反骨精神」の表れと解釈出来よう。彼は、会社の上層部に気付かれぬよう低予算で、かつ本社スタジオではなく離れた場所を用いて本作を制作した。故に、主に起用されたのは低予算で雇える無名俳優たちであり、その結果彼らをスター俳優に押し上げることになったのである。生々しい手術シーンや度が過ぎるいたずらシーンなど、会社から当該部分のカットを要求されながらも断固拒否した、という逸話も残っている。


 次に、第2のキーワード「実験性」について言及する。彼は、古典ハリウッドの映画スタイルを継承しつつ革新を生み出していった、と言われている。つまり、昔のスタイルに則りつつ、新たな試みを行った、ということだ。なお、本稿では「新たな試みを行った」実験的部分に絞り言及することにする。

 まず、その代表例が「アドリブの多用」だ。映画にも劇にも、基本的に脚本が存在する。しかしアルトマンは、その脚本通りに撮影を進めることは少なかった。『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』に”ホット・リップス”役として起用されたサリー・ケラーマンはこう語る。

 

「私が自分の役柄に関してあれこれ言うと、監督は一言。ーー好きにやれば?」

 

また、3人の主役のうちの一人を演じたドナルド・サザーランドはこう語っている。

 

「脚本は無視して、台詞はアドリブだった。」

 

このように、アルトマンの特性の一つとして、出演者のアドリブに重点を置くことが挙げられる。アルトマンは、アドリブの多用についてこう語っている。

 

「演技についてそもそもあまりわかっていないんだがね。演技がわかっていないというのは、どうやって俳優に演じられるのか、その仕組みがわかっていないということだよ。誰かのテクニックというものが理解できない。経験を積む中でわかってきたのは俳優こそが真にことを成し遂げている張本人なので、脇から私がもっと意地悪くとかなんとか演じ方を指図しても意味がないってことだ。」


『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』で脚本を担当したラードナーは、脚本通りに撮影しないアルトマンに憤慨していたというから、どれだけアドリブが多かったかは想像に難くないだろう。出演者が「監督は、出演俳優が脚本の台詞を変えることを奨励していた」と語っていることからもそれが見て取れる。アルトマンはラードナーを「保守的な人物」としていることからも、彼の反骨精神や自由性がうかがえる。


 次に、「古典期の”約束事の無視”」を挙げたい。アルトマン以前の古典ハリウッド期では、いわゆる「お約束」的表現手法が多く取られていた。「〇〇なシーンがあれば、観客はこう解釈すれば良い」という具合である。その一つが、ドリーを用いた表現方法だ。例えば、映画の開始直後、すなわちまだ誰が主要な人物かわかっていない状態を想像していただきたい。ーー会話が聞こえてきて、画面が明るくなる。人が数人写っているが、誰が主役なのかわからない。そんな状態の時に、だんだんと一人の人物に画面がドリー・インしていき、だんだんとその人物がアップで映される。このように、ドリー・インを用いた撮影により、観客は誰に注意を向けるべきか、誘導されるわけだ。例えば、古典期の名作『風と共に去りぬ』(1939)の冒頭シーンはこれの典型例である。        

 

画像から分かるように、映画の冒頭は3人の登場人物が少し遠いところに写っている状態でスタートする。その状態から、じわじわとヴィヴィアン・リー演じるスカーレットにドリー・インしていく。この手法によって、観客は誰に注目すべきなのか、 どこを見るべきなのかがわかるわけだ。古典期にはこういった”約束事”があったため、観客はある人物が「ドリー・イン」されれば、その人物が何らかの重要性を持っているのだと確認することができたのである。他にも、インされた人物の感情などを表す効果など様々な”お約束”が古典期作品には存在する。すなわち、その約束事によって、観客は何を見ればいいのか、どう感じればいいのかを意識的に理解し、次の展開を考えることができるのだ。

 しかし、アルトマンの場合、その”約束事”を無視している部分が多く存在する。例えば、「ズーム・イン」の多用こそがその1つだ。先ほど「ドリー・イン」と「ズーム・イン」の違いや扱いについて述べたが、「ズーム・イン」は被写体と背景の距離が変わらないまま拡大される手法ゆえアップになっても奥行きは生まれない。すなわち、「ドリー・イン」と比べて被写体を前面に押し出すアップは望めず、平坦な画になる。

さらに、アルトマンは、「なぜそこをズームするのかわからない」ズーム・インを多用する。例えば、『ロング・グッドバイ』におけるズーム・インを例に挙げよう。エリオット・グールド演じるマーロウが、飼い猫の餌を買いに行くためにジャケットを羽織って準備するシーンである。しかし、ズーム・インされるのは本シーンの主人公たるべきマーロウではなく、隣の家に住むヒッピーの女性たちである。   

 

つまり、「主要人物・事物にドリー・インしていくことでそれらの持つ何らかの意味を明示する」古典期作品とは違い、「意味を明示しない」アップになっているということである。

このように、「このシーンの主人公であるマーロウ」ではなく隣人の女性たちに焦点を当てるという一見「意味を持たない、意味を明示しない」ズーム・インをアルトマンは多用する。

古典的作品であれば、観客の関心を誘導させるために主人公や重要な事物などをアップするはずである。しかしこの場合、古典的作品における”約束事”に則っておらず、このアップが何らかの意味を明示するものではないことがわかる。アルトマン作品に出演しているサザーランドも、彼のズームレンズの特異性について「(カメラで)どこを撮っているのか誰もわからなかった。脇役でもアップで映る可能性があった。」と指摘している。

このように、アルトマンはそれまでの”約束事”を無視し、新たな方向性の元に映画を製作していることがわかる。そして、アルトマン自身は自著の中でこう語っている。


「いちいち説明しなくていい、そこになにかがあれば観客は勝手に掴み取っていく、そうするのは観客の勝手だ」


この発言から、彼は「自分が提示した1つの答えを観客がそのまま享受する」のではなく「あえてその答えを観客に求めることで、それぞれ独自の解答を持てる」ように映画を制作していると考えることが出来る。ゆえに、意味を明示する”約束事”を取っ払ったと解釈することが妥当であろう。映像手法によって意味を明示し観客にとって「分かりやすく」作られた古典期の作品と比較すると、別の方向性の元に制作されたことがわかる。これが本稿におけるアルトマンの「実験性」であり「反骨精神」的典型例であると筆者は解釈する。

 また、音声という切り口でも彼の典型的な「実験性」を感じることができる。古典期作品のみならず、一般的に映像作品においては、音声は主要な人物の声が聞こえやすいように編集されていることがほとんどである。今日の映画やドラマなどを想像していただければ、容易に理解していただけるだろう。しかし、アルトマンはそれと別の手法を用いて映像を制作することが極めて多かった。「オーヴァーラッピング・ダイアローグ(重なり合う会話)」である。例えば、『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』におけるその一例として、アルトマン研究者の小野知恵はこう述べている。


「『マッシュ』(M⭐︎A⭐︎S⭐︎H , 1970)では、移動野戦病院へやってきたばかりの主人公ふたりが食堂で仲間たちを紹介される場面において、自己紹介をしようとふたりに話しかけてくる複数の人物たちがバラバラの台詞を同時に発する。ここではまだ従来の録音システムが用いられてはいるものの、これは当時最も大胆に試みられたオーヴァーラッピング・ダイアローグの代表例であるといえよう。」


また、映画評論家のリチャード・シッケルは、マッシュ公開当初の感想をこう語っている。


「複数の出演者が同時に喋るのが印象的だった。絶えず背後の会話を聞かせることでドキュメンタリーのような臨場感を生み出している。(中略)今までにないスタイルの映画をアルトマン監督が生み出した。」


つまり、音声録音という側面においても彼の実験性を感じることができるということだ。

また、アルトマンが本作を制作する前に初めて取り掛かった監督映画『宇宙大征服』(1968)で、撮影終了時に監督を解雇されるという出来事があった。その理由は、「オーヴァーラッピング・ダイアローグ」による台詞の聞き取りづらさが原因である。すなわち、当時においてこの試みはあくまでも本流ではなく、「登場人物の会話は聞き取りやすい」ことが重要であったことがわかる。

 また、はじめの来歴紹介の中で触れたが、彼の得意とした作品スタイルは群像劇である。主人公を絞るというよりは、複数の登場人物たちが相互的に織り成す物語に焦点を当てるスタイルであり、そこにもこの音声上の特性が見て取れる。複数人の交わりが前提にあるスタイルゆえに、より音の交わりを効果的に生かすことができる、という狙いがあるのだろう。先ほど引用したアルトマン本人の言葉からも、それを伺うことができる。

 さらに、会話という側面のみならず、環境音という側面からもかれの実験性を感じることができる。彼は、マルチトラックシステムを導入することによって、より多くの音を録音することを可能にした。そして、彼はその多くの音を、同じボリュームで劇中で流している。つまり、会話が聞き取りやすいことが前提にあった古典期と違い、主人公が会話していても、周りの音は同等のボリュームで流れているのである。例えば『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』では、兵士たちの集う食堂で主人公たちが会話する際、先述したように周りの会話のみならず、皿とカトラリーがぶつかり合う音など、環境音も同じボリュームで録音されている。

会話という面のみならず環境音という面においても「重なり合う音」を表現することで、よりドキュメンタリー的な、リアルな音を再現しているのだと捉えることができよう。

 一見「目的のわからない」ズームや音声録音の特徴、”約束事”の無視など、これらが第1章で述べた「不自然さ」の原因である。

 ここまでを要約すると、彼の作品における「反骨精神」の具体例として「ドリー・インに対するズームインの多用」「権威・保守主義の否定」、「実験性」の具体例としては「約束事の無視」や「アドリブの多用」などが挙げられる、ということだ。


 ここで、本稿で主眼を置く『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』に言及していく。本作は8000万ドル以上の興行収入を飛ばし、その後TV化されたシリーズは11シーズンも放送された大ヒット作であるが、概要は本作のBlu-lay版に記載されている説明が非常にわかりやすいため、以下引用させて頂く。

 

朝鮮戦争下、米軍の移動野戦外科病院(略称:MASH)に3人の軍医が配属された。腕はピカイチの名医なのだが、揃いも揃って突拍子もない型破り。次々と運ばれてくる負傷者の手術をこなす傍ら、寸暇を惜しんでバカバカしいイタズラに精を出す。抱腹絶倒の笑いにリアルな手術シーンを織り交ぜながら、”戦争”という愚かなゲームにハメを外す人々を描いた傑作戦争コメディ。ドナルド・サザーランドエリオット・グールドらを一躍スターダムに押し上げ、世界中で大ヒットを記録した本作。ロバート・アルトマン監督が初めて脚光を浴びた作品である。」

 

また、映画サイト「シネマトゥデイ」における連載記事「今週のクローズアップ」にて特集されたアルトマンの記事で、『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』に関する非常に的を射た寸評がなされていたので、そちらも合わせて引用させて頂く。

 

ベトナム戦争の泥沼化によってアメリカ政府への不信感が高潮した1960年代後半から1970年代にかけて、暴力や性行為などの過激な描写で、国の抱える矛盾を暴くかのような作品が次々生まれた。そしてそれは、それまで夢を売ることを第一としてきたハリウッド映画に対し、「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれるムーブメントとして広まった。そんな「アメリカン・ニューシネマ」の代表作としてよく挙げられるのが、アルトマン監督の『M★A★S★H マッシュ』だ。リチャード・フッカーによる小説を基に、朝鮮戦争における移動野戦病院に補充された三人の医師が、やりたい放題大暴走する姿を描くブラックコメディー。戦争映画なのに戦闘シーンは全く出てこず、“ホット・リップス”とあだ名を付けられてしまう上官看護師へのいたずらなどは度を超す一方で、その合間に入る彼らの手術シーンはスプラッター映画並みに血がほとばしる生々しさというカオスっぷりには狂気すら感じられる。

 アルトマン監督作の特徴といえる、ワイドショットや、多数の登場人物の中、ある人物だけにズーム、型破り的な登場人物たちによる会話のオーバーラップ、そしてアドリブ演技の多用といった手法もすでに確認できる。同作でアカデミー賞監督賞にノミネート、カンヌ国際映画祭ではパルムドールを受賞し、アルトマン監督の出世作となった。」


以上2例を読んでいただければわかるが、要約すると以下のような要素に集約される。


反戦運動下に制作された極端な反戦ブラックコメディ

②「アメリカン・ニューシネマ」の代表作

③アルトマンが初めて脚光を浴びた作品

④アルトマン的特性(ズーム、群像劇、音声技法、アドリブの多様など)が既に散見される


また、シネマトゥデイの記事で「上官看護師へのいたずらなど」と表現された箇所にも言及しておきたい。第2章において「ヘイズ・コード」の存在とその撤廃については先に述べたが、その「いたずら」はヘイズコード施行期にはほとんど考えられないものと言っても良いだろう。3人の主人公たちが画策して、”ホット・リップス”とあだ名付けられた上官の性行為音声を病院内のスピーカーで流したり、シャワー室の幕を引っ剥がして裸体を人々に晒し上げる、というものだ。それだけではなく彼らは他にも筆舌に尽くしがたいイタズラをまさに「やりたい放題大暴走」する。古典期作品では考えられないような基準の元、”アルトマンらしい”皮肉が込められた作品であるといえよう。

つまり、上記にまとめた『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』の4つの特徴を紐解くことが、本稿で本作を取り上げる意義であると考える。次項では同時代作品、とりわけ「反戦・告発」要素のもと制作された作品に目を向けて、比較していく。


  Ⅳ

 

 本章では、『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』と同時代に制作された映画、とりわけ「反戦映画」と本作を比較し、アルトマン作品の特性と他監督作品との差を明確にすることを主眼に置く。

 まず言及せねばならない作品は、しばしば本作の比較として引き合いに出される同年公開の映画、マイク・ニコルズ監督作品『キャッチ=22』(1970)であろう。本作は第二次世界大戦に取材し、戦地に身を置く主人公とその周囲の人々の狂気を描くものである。主人公ヨサリアンを中心に、戦地で狂ってしまった同僚や、軍規を一切守らぬ上官の横暴など痛烈なユーモアを織り交ぜながら物語は展開する。

 では、技法的な面に目を向けてみよう。まず、本作は戦闘機が並び立つ飛行場(砂漠地帯の更地)から始まる。大きくアップされた戦闘機からだんだんと建物の二階に立つ人物にドリー・インされていく。このドリー・インで観客は主人公が当該人物であることを理解することができるのである。この「観客の視線・思考を誘導するドリー・イン」は第2章で言及した古典期作品の特徴と一致する。『風と共に去りぬ』の冒頭シーンと構造上はほとんど同じであると言っても過言ではないだろう。また、音声的側面にも目を向けてみる。建物内などの静かな場所、その逆で兵士たちが集まる食堂といった騒音の目立つシーンでも、画面に映る登場人物たちの会話のみがはっきりと聞こえるように編集されている。これもまた、古典期作品の技法上の特性と一致するものであろう。一方、戦闘機が並び立ち離陸していくシーンや上空でのシーンにおいて、登場人物の声はかなり小さなボリュームで再生されている。これは、臨場感を再現する技法として古典期には既に確立されており、特性と言うまでもない普遍的な手法であろう。


 また、1980年代初頭と少し時代はずれているものの、有名な反戦映画としてテッド・コッチェフ監督作品『ランボー』(1982)も引き合いに出してみることにする。『ランボー』はディヴィッド・マレルの『一人だけの軍隊』を映画化したもので、ベトナム戦争に従軍した主人公が負った心の傷を主題にした作品だ。本作は『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』や『キャッチ=22』とは違いブラックコメディやユーモア要素はないが、「反戦風刺映画」という点で共通しており、「ベトナム戦争後のアメリカ」を描くという点において比較対象になりえると考える。また、原作の『一人だけの軍隊』は1972年に出版されており、その時代がカウンターカルチャー隆盛期、つまり「アメリカン・ニューシネマ」の時期と被っていることも理由の一つである。上記作品と比べてかなり有名なためそもそも解説する必要があるか疑問が残るところではあるが、その概要はこうだ。

 ベトナム戦争の英雄「ランボー」は従軍後、ある町に流れ着く。その町の保安官に目をつけられ、「よそ者」であることのみを理由に不条理な虐待を受ける。我慢の限界を迎えたランボーは保安官らをなぎ倒しながら森に逃げ込み、州警察が出動する大事態になる。しかし、ランボーは一人ながらも、彼らを手のひらの上で転がすかのように蹂躙する。その後首尾よく森を脱したランボーは町に戻り、町を木っ端微塵に破壊する。そこにかつての上官が現れ、ベトナム戦争によって負った心の傷を告白するシーンとともに、物語は終了する。

 次に、技法的な面に言及する。『ランボー』におけるその特徴としては、古典ハリウッドの特徴を大方継承しているというところが大きい。その例として「観客を誘導する」ドリー・インが多く使用されていること、物語のプロットが観客にわかりやすいように撮影されていることが挙げられよう。本作は戦争に対する風刺映画として『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』や『キャッチ=22』と共通しているものの、コミカルな面が一切ないシリアスなものである。また、本作以降の続編がアクション映画へと様相を変え、いわゆる大衆ウケの方向へと舵を切ったことも先述した2作との違いであろう。つまり、「戦争風刺・告発映画」という側面を失っていったのである。

 また、比較対象に挙げた2作と『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』の最も大きな違いとして、『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』には戦闘シーンが一切ないことが挙げられる。戦争映画ながら戦闘シーンがないという一見矛盾しているかのような作品であるが、アルトマンはそれに対しDVD版に特典として収録されている「『マッシュ』の誕生秘話」でこう述べている。


「観客がベトナム戦争と混同するように仕向けた。明らかに朝鮮戦争とわかる描写は、意識的に除外したんだ。」

 

つまり、具体的な戦闘シーンを避けることでベトナム戦争で高揚したしたカルチャーに朝鮮戦争に取材した映画をわざとぶつけたのだ。ベトナム戦争影響下で育まれた「アメリカン・ニューシネマ」の土壌の上でヒットさせるために、アルトマンはそう画策したのであろう。

故に、結果的に朝鮮戦争ベトナム戦争という2つの戦争を扱った映画となり、その主題、ブラックユーモア、国民感情とがそれぞれマッチし、本作が大ヒットしたと考えられよう。ここが、筆者が本稿において明確にしたかった論点でもある。

 本章では、『キャッチ=22』と『ランボー』を引き合いに出し比較したが、やはりどちらとも古典期作品の特徴を継承するものであり、アルトマン的特性との共通点は見受けられない。また、風刺という点でそれぞれの作品が共通する部分はあるものの、作品自体の方向性として一致するものではないことも先に述べた。

そして『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』が「アメリカン・ニューシネマ」を代表する作品となりえたのも、朝鮮戦争に取材した映画をベトナム戦争に重ね合わせるよう意図的に制作し、反戦感情の高揚した大衆にぶつけたという理由によるものだと考えることが妥当であろう。

 

 

 序章では本稿の目的を「アルトマン的特性を「反骨精神」と「実験性」という2つの要素から分解し、その自由性や彼の求めた理想を紐解くことを目的とするものである。」と述べた。本章では、本稿においての論点・考察を整理しまとめた上で、最終章としたい。


 まず、アルトマンの「反骨精神(Anti-establishment)」に関して言及する。その例として「ズーム」の多様と「権威・保守主義への反抗」を挙げた。前者は”ドリーイン”の代用としての”ズーム・イン”の多用、後者は『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』作成の過程や「実験性」に言及した記述のうち「古典期の約束事の無視」などがある。

 彼の「実験性」については「アドリブの多用」、「意味を明示しないズーム・イン」、音声録音手法としての「オーヴァーラッピング・ダイアローグ(重なり合う会話)」や環境音のボリュームに関するものが挙げられる。その実験的精神の端的な表れとして、アルトマンはこう語っている。

 

「結局のところ、多くの映画は今まで一度も試されていないことよりも、すでにうまくいったことをもっとうまくやる事ばかりにかまけているんだ。」

 

この発言からも、アルトマンが積極的に”今まで一度も試されていない”ようなことに挑戦していったことがうかがえる。その試行錯誤と反骨精神で、彼は”ハリウッドの異端児”と呼ばれるようになっていったのだ。彼のドキュメンタリー映画の題『ロバート・アルトマン/ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』や、その紹介文の「何もかもが型破り!」など、その特異性は周知の事実である。

そして、これらの”アルトマン的特性”として筆者が列挙したものが、他作品と比べた上でも明確な差異となり”アルトマンらしさ”を形成していることは先述の通りである。

 故に、筆者はアルトマンの映画製作の原理を「反骨精神」と「実験性」という要素で分解した上で、それはある種独自の「自由性」であると解釈する。つまりそれは、古典に対する反抗(=自由性)であり、その自由性のもと、従来取られてこなかった様々な手法を用いて解放的な作品を制作していったのだ。「自分のやりたいようにする」という彼の映画制作手法は、彼らしさ溢れる独自の世界観を形成し、”ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男”になったのである。

 最後に、アルトマンが自著で語った、彼らしさ溢れる台詞を引用して、本稿を終了したい。

 


「ルールができると破りたくなるだろう。破らなきゃ馬鹿だ。」

 

参考文献 


ロバート・アルトマン(2007)『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』キネマ旬報社 

小野智恵『ロバート・アルトマン(2016) 即興性のパラドクスーニュー・シネマ時代のスタイ ルー』勁草書房 

桑原圭裕(2014)「ロバート・アルトマンの映像表現の特性ー角栓と再構築という視点から見た 現実ー」, 人文論究 58(1), p159-172, 2008-05, 関西学院大学 

小野智恵(2014)「約束された奥行きへの異議ーロバート・アルトマン監督『ギャンブラー』に おけるズーム・インー」,人間・環境学-Human and Environmental Studies 23 p57-65. 京都大 学大学院人間・環境学研究科 

藤田秀樹(2010)「西部劇の黄昏--ジェンダー視座からロバート・アルトマンの『ギャンブラー』 を見る」,富山大学人文学部紀要 (52), 161-175 ,富山大学人文学部 

小野智恵(2009)「ロバート・アルトマン作品における音と物語のプルラリズム:オーヴァーラッ ピング・ダイアローグからオーヴァーラッピング・ナラティヴへ」,映画研究 4(0), 74-91, 日本映画学会 

奥村賢(1986)「ディヴィッド・ボードウェル、ジャネット・ステイジャー、クリスティン・ト ンプスン共著 『古典的ハリウッド映画―一九六〇年までの作品スタイルと製作モード―』:書評(書 評・紹介)」,映像学 34(0), 56-62, 日本映像学会 

木村建哉(2012)「古典的ハリウッド映画における不自然な「自然さ」 : ヒッチコック『裏窓』 (1954年)の冒頭場面を例として」,成城文芸 (220), 73-52, 成城大学 

井上貢一(2005)「映像編集におけるショットの継時的群化の要因」,日本デザイン学会研究発表大会 概要集 52(0), 159-159, 日本デザイン学会 

竹本憲昭(2016)「『キャッチ=22』論」, 欧米言語文化研究, 4, pp.73‑91

山本祐輝(2015)「初期ロバート・アルトマン映画における音声のナラトロジー的研究」立教大学大学院現代心理学研究科


参考映像作品

ロバート・アルトマン『宇宙大征服』(1968)

ロバート・アルトマン『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H マッシュ』(1970)

 ※本作のBlu-lay/DVD版特典である「『マッシュ』誕生秘話」も参考にした

ロバート・アルトマン『ギャンブラー』(1971)

ロバート・アルトマンロング・グッドバイ』(1973)

 ※本作Blu-lay版<CCジンジャー・エディション>収録のインタビュー映像も参考にした

ロバート・アルトマン『ボウイ&キーチ』(1974)

ロバート・アルトマン『ジャック・ポッド』(1974)

ロバート・アルトマンナッシュビル』(1975)

ロバート・アルトマン『ザ・プレイヤー』(1992)

ロバート・アルトマン『ショート・カッツ』(1993)

ロバート・アルトマンゴスフォード・パーク』(2001)

ロバート・アルトマン今宵、フィッツジェラルド劇場で』(2006)

ロン・マン『ロバート・アルトマン ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』(2014)

ヴィクター・フレミング風と共に去りぬ』(1939)

ジョージ・キューカースタア誕生』(1955)

アーサー・ペン俺たちに明日はない』(1968)

マイク・ニコルズ『キャッチ=22』(1970)

アルフレッド・ヒッチコック『裏窓』(1954)

アルフレッド・ヒッチコック『サイコ』(1960)

スタンリー・キューブリック2001年宇宙の旅』(1968)

スタンリー・キューブリック『時計仕掛けのオレンジ』(1971)

テッド・コッチェフランボー』(1982)

テッド・コッチェフランボー/怒りの脱出』(1985)

テッド・コッチェフランボー3/怒りのアフガン』(1988)

フランク・ダラボングリーンマイル』(1996)